31 August, 2008

夏の終わり

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夏の終わりは秋の始まり でも やっぱり違う風 違う匂い
どうも違うみたい 季節は終わらない でも確実に時間は移ろっている


8月は大好きな季節。誕生月。
今日でおしまい。明日から9月。

今年の8月は暇で暇で(苦笑
佐世保へ行ってきました。

東京駅。N700。駅そば。特急みどり。
精霊流し。爆竹。灯籠流し。佐世保ラーメン。ささいずみ。
甥っ子、姪っ子、いとこ、おじさん、おばさん、おばぁちゃん。
福石観音。五百羅漢。首無し地蔵。
若葉町。福石町。山祇町。潮見町。須田尾町。白南風町。逢坂町。稲荷町。
3つのお墓。お盆。マニュアル5速。


坂、階段、坂、坂、坂、坂。
迷子、路地、夕暮れ。
朝陽、朝霧、夕立ち、星空。
マニュアル露出、マニュアルフォーカス、標準レンズ、モノクロフィルム。
ブランク。原点回帰。


感謝。

生きている実感を味わう日々でしたょ。

Thanks for YUUSUKE & TAKAAKI
Thanks for 叔父さん、お義母さん、お義父さん
Thanks for きぬぉばぁちゃん
Thanks for 妻と子

Thanks for MAR & HOSHINO(敬称略)

天候不順が続いているけど、
みな無事に、元気で、気持ちのよい9月の日々を。

僕は明日から蔵王。
晴れるといいな。

10 August, 2008

夏の夜は。

暑中お見舞い。。。どころか暑苦しくも長い話ですみません。
と、最初に謝っておきます(苦笑

夏の夜長に、なんとなく。徒然なるまま思うまま。
お暇なら、お付き合い下さいませ。




三種の神器。
それは高度成長期の日本において、冷蔵庫、洗濯機、テレビ。
当時は、これらの家電製品を持つ暮らしに皆憧れ、
それらは一般家庭に広く普及して、今じゃ、ごくごく当たり前の家電製品。
洗濯機で汗だくの衣類を洗っている間に、冷蔵庫で冷えた麦茶に氷を入れて、
近くて遠い北京オリンピックをリアルタイムで観戦してる。

30も半ばを迎えようとする僕が生まれた家庭でも、
これらは当たり前にあるもので、何の不思議も無ければ、
そこに何の感謝も感動も無い。

僕が生まれ、育つ中で、急激に広まり、そして当たり前になったもの。
携帯電話、パーソナルコンピューター、コンビニエンスストア。
子供の頃は、これらは夢の、それこそ漫画で見た必殺技の様なもの。

携帯電話は、大学生の時、かな。
なにか契約だとか、常に携帯する、電話が付いてくる感じだとかが、
たまらなく不快で、またバイクにドップリ夢中だったこともあり、
雨の日、台風の日、携帯電話気にしながら出かけられるかっ、、、と、
頑に持たない暮らしにこだわっていたけれど、防水携帯が出たことで、
あえなく、その恩恵に(苦笑)

パソコンも大学生の時。卒業論文を書くために、仕方なく導入。
もちろん、手書きでも良かったのだろうけれど、その気概は、無かった(苦笑
そんなもの無くても、暮らして来たんだし、
無きゃ困る人もいるだろうけれど、無くて困らん人もいる。
僕は、一生、パソコンなどとは無縁な暮らしを送るのだ。
なぁんて思っていたけれど、あれれれ、今じゃ、ドップリ依存症気味。

コンビニは、うーん、、、いつだったかな、
小学生の頃は無かった様な、、、否、行かないだけか、その頃は、まだ。
駄菓子屋には、毎日のように通ったなぁ。
中学生の時にはあった、今ほどじゃないけれど。
いつの間にか,今では、日に一度くらいは立ち寄る場所になっている。
それも、いつも同じというわけでもなく、どこか、行った先、あった所で。
買うものは主に、タバコ、飲み物。
ご祝儀袋と筆ペンとか、切手とか、急に必要になったものも買いに行く。
学生時代は、よく電話代とか、払いに行ったなぁ。

僕らより上の世代は、それらが無い時代の暮らしを良く知っている。
親父たちの世代は、さらにその昔、三種の神器すら無い時代を生きている。
僕らより下の世代は、携帯、パソコン、コンビニの無い時代を知らない。
あることが普通、無いことが異常と感じるほど行き渡った暮らしの中にいる。

そのギャップを、過渡期を過ごしている僕らは、どう感じて行けばいいのだろう。
そのギャップを、今、未だ、変容する暮らしやコミュニュケーションの渦中で、
どう考え、また、どう表現して行けばいいのだろう。

変わることが常とされるこの暮らしの中で、
変わらないものに強く魅かれてしまうのは、そんな不安からかな、と。


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変わることが悪いと、進歩や発展を安易に批判したいわけでも、
昔は良かったね、と懐古主義に浸りたいわけでもない。
けれど、変わりゆくこの世界の中で、自分がどう変わっていくか、
そして、どう係っていくか、常に意識してしまう。

道はどこまでもアスファルトに覆われていて、
横を見れば電線がどこまでも着いてくる。
町は、どこに行っても、どこまで行っても同じ様相で、
まるでどこにも行っていない様な気分。

住んでる人は、僕らが思うより大変ではないのかもしれない。
住んでる人は、僕らが思うより大変かもしれない。
それは、わからないけれど。

いいのにね、
新鮮な魚が食べれない場所があっても、
他所より暑い場所があっても、
雪で身動きがとれない場所があっても。
いいのにね、当たり前なんだから。

そこには、そこにしかない苦労があって、
そこには、そこにしかない良さがあって、
そこには、そこだからこそ知恵を出し合ってきた暮らしがあって、
そこには、そこにしかいない人がいる。

”グローバルな視点なんて、都合のいい目隠しだろっ”
、って、マーシーが、10年くらい前に歌っていた。
今、その気持ちが良くわかる様な気がする。
同じである必要って、隣の芝生がいつだって青く見えていただけじゃないのか、と。

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空を見上げれば、そこはいつだってグローバルなのに。




追伸 それにしても室外機。世の中の暑さの半分は室外機が原因じゃないか?
そりゃ、絶対必要なところもあるだろうけれど、
全部が全部、本当に必要なのかな。
いっそ、暑くても室内機にしてしまうとか(w
外に、他所に、うちじゃないどこかに、ってのは、今時分、まずいよね。
自然環境は、どうも僕らが思ってきたほど、タフではないようですし。

それと、この画一的で、面白くないデザイン。なんとかならんだろうか。
邪魔にならない,主張しないことを目指しただろうデザインも、
これだけ並ぶと、うっとぉしい(苦笑)

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え?うち?。。。。
うーん、まぁ、なるべくつけないようにはしています、ハイ(苦笑

真夏の夜の愚痴でした(w