22 January, 2015

たべるということ。



お土産にいただいたお肉は翌日、早速シチューにして、家族みんなで美味しくいただきました。



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週末、新潟県との県境近く、長野県小谷村に行ってきました。
大網集落で生活する方々の団体くらして」主催のワークショップ「鹿の解体 皮なめし 暮らす道具」に参加してきました。

帰ってきて、いま、食べるということ、生きるということを考えています。 
それはとてもシンプルで、とても日常的です。

そして、解体するということ、殺すということを考えています。
それもまたシンプルだけど、僕にとっては非日常です、そう思っていました。

でもその日常と非日常は、たった数時間、車を走らせるだけで、そこに地続きで在るんだよね。


「くらして」の方が狩った鹿を、一緒に丁寧に解体し、いただくことで、自分の血、肉、エネルギーとなることがとても自然に、文字通り、腑に落ちました。
家畜は人が食べるために育てたものだけど、それも同じ。昨日、食べた鶏の唐揚げも、朝食のスープのベーコンも。


日常では巧妙にオブラートに包まれているように思うこの部分、撮影している間も、写真をセレクトしている今も、こうして見せることに抵抗感が少なからずあります。...なんでだろう。美しい景色や心象風景を見せるのとは違う、見せる人や、見せる場所を選ぶような感覚。血の赤が、人に痛みを想像させるのかな。
みんながみんな、その痛みと向き合いながら食べる必要はない、そう思います。けれど、いま口にしたその食べ物がどこで、誰の手を介して、どうやって僕の目の前へきたのか、という意識は常に持っていたいなぁ。
そこには、命があって、その命を奪う人がいて、そして、自分が食べたものだけが自分の身体、そのものだから。

結婚すると考えることだけでなく、顔つきもなんとなく似てくるなんていうけど、毎日の食卓で、同じ食事を共にする家族は、血肉を分け合って生きている同体なのかもしれない。
その土地で育ったものを食べ、その土地に生きるということは、その身体はその土地そのものなのかもしれないなぁ、と感じる週末でした。




肉は身体に。そして毛皮は、「くらして」の方々に「皮」から「革」へ鞣していただいて(革を柔らかく、と書いて”なめす”と読むことも初めて知りました!)、来月、暮らしの道具を作りに再訪します。










今日はなにを食べた?







小谷村さんぽ4Mt.AMAKAZARI from Oami Kitaotari NAGANO

Ready for morning
小谷村さんぽ1
小谷村さんぽ2



Mt.MYOJO from Oami Kitaotari NAGANO



小谷村さんぽ3

LunchTime on the snow 1
LunchTime on the snow 2

icicles 1

Roasted a venison
Today's snow8icicles 2

Way to the workshopDeer 1Deer 3


Way home
















2 comments:

ゆうたん said...

スヤマさん、こんにちは。
この記事、今日読んで、
今、私がまさに考えていることだったので、
何度も何度も読みました。写真を拝見しました。

私が去年の11月から毎日通っている職場の裏には
中央卸売市場 食肉市場があります。
会社の窓から毎日、車に乗せられた牛や動物の姿を見えます。
私にとって「屠畜」は、毎日の生活に関わっているけれどココロのどこかで「非日常」だと思っていました。
でも、それこそ徒歩で5分もかからないところにその場所はあったんです。

この場所に会社が引っ越してから
今までもぼんやりと感じていた
「命をいただく」ということを
もっと強く考えるようになりました。

うまく言えないんですけど。

わたしたちはどこかで、何かの生命のエネルギーをいただいて生きている。
そのことを毎日実感しながら暮らしています。

とりとめもない話でごめんなさい。

Satoru Suyama said...

ゆうたんさん、今、コメントに気がつきました。
すみません。
先日は写真展、とてもよかったです。ありがとうございました。

そうでしたか、食肉市場。
そうなんですよね、なんだろうかモヤモヤした気持ちになるんですよ。
魚ならいいのか、植物なら?哺乳類だから抵抗を感じる?でも美味しくいただいている。
人となにが違うのか、なにが同じなのか。

僕もうまく言えないんですけれど、
でも、僕が見てきたことが、こうして伝わって、
なにかを考えるきっかけになってくれたことは、
とても嬉しいです。

ありがとうございます。