12 June, 2017

六月の晴れ間

Let's make plum syrup.



 帰宅すると妻が梅を洗っていた。昨日「もう遅いかもね〜」と話していたけど、いい梅があったようだ。今年は梅酒は仕込まずに、梅シロップに。夏の朝、炭酸で割ると美味しいんだよな。夏の楽しみが増えていく。










Gorge,Mt.Bonomine,Hannou,Saitama

 朝、子どもたちが学校に行ってから電車に揺られて近場の低山へ。駅出口を間違えてさらにバスの時間も間違えたので、早速40分ほどバス停に取り残される。初めて歩く山だけど、それほど時間がかかる山ではないはずなので、まぁ大丈夫だろうと。文庫を読みながらバスに揺られてさらに40分。11:00から歩き始める。山頂でご飯を食べるのは13:00頃の予定。
 山を歩くのってなんだろう。山頂の景色が素晴らしいから?木漏れ日の森林浴?人それぞれ色々な理由があるんだろうけれど、ぼくはただただ登るのが好きなようだ。一歩一歩上へ登る。頭の中ではアレやコレや考え事をしながら、続く登り坂にだんだん呼吸が大きくなっていく。深く息を吐きながら脚を送り出し、次の一歩の行先を探す。そのうち無心となって、ひたすら登る。山頂に近づくにつれて景色が開けてくると思い出したように写真を撮って。





 山頂に到着した達成感。展望の利かない山頂も多いけれど、天気のいい日の見晴らしの良い山頂はやっぱり最高の気分だ。それとやっぱりお昼ご飯、登りきった山頂で食べるご飯も最高。ザックに忍ばせたビールを飲みながらお湯を沸かす。文庫本の続きを読みながらお湯が沸くのを待つ。最高の時間。

 帰路はひたすら下っていく。下り道は眺めの良いところから、だんだん森の奥底に降りていく感覚。今日は時間に余裕はあるけれど、だんだんと日も傾いてくる。登るときは苦しくても楽しいけれど、下るときはそう面白いわけでもない。下って下って、早く帰ろう。家へ帰ろう。そう、下りの山道はいつだってホームシックな感じ。

 下山後、温泉にゆっくり浸かってからバス&電車に揺られて、文庫本の続きを読み進めながら帰宅する。







02 June, 2017

六月のモノクローム

Nakano,Tokyo
Nakano Station North Exit intersection



 子供の頃、わからないことは大人に聞いた。大人は全部知っている。知っていることがだんだん増えてきて、それが大人になるってことなのかと思っていた。でも、実際は世の中よくわからないことの方が圧倒的に多くて、実はわかっていることばかりで自分の周りを固めて無駄にドキドキハラハラしないように日々をつまらなくしていくことが大人になることのようだった。

 新しいことをすると、できないことの多さに唖然となる。何一つできない。意味もわからない。でも一つづつ「あぁ、そうか」「なるほど」というものが増えていって、でもやっぱり上手くできない。少しできるようになると、頭で理解していたことの意味が違う角度で見えてきて、思ったような動きが少しづつできるようになっていく。その繰り返し。

 すでに知っていることでも、気がつかなかったことがそこには隠れていたり、わかったつもりになっているだけで全然ちがう考え方がそこには流れていたり。時が違えばそのものの見え方も、自分の見方も変わってることも頭では理解していても、なかなか体感するのは難しい。
 
 写真や絵は視覚的に目の前にそれを見せてくれる。「アァ、こんな風に世界を見ているのか」って。見慣れた世界を一変させる力が写真にはあるよね。自分が撮った写真がいつまでもモヤモヤと心に引っかかったり、あの時のことをその時以上に鮮明に思い出させたり、ハッとさせられたり。時に写真は、撮った自分でさえも気がつかなかった心の機微を映し留める。だから写真って見るのも撮るのもやめられないんだよなぁ、きっと。

 もっと無駄にドキドキハラハラしないとね。ワクワクするよね、知らないことばっかりに囲まれているって。


Nanatsuishi mountain peak,Tokyo
Near the top of Okutama Nanatsuishiyama mountain peak